多神教の神様たち

 このように多くの神様や天使様あるいは聖人が存在するのは何故なのでしょ うか。たしかに一神教というのはどんなことでもひとりの神様にお願いすれば いいのですから魅力的な宗教と言えます。しかし、やはり人間の心情としては 専門別の神様の方がより身近で頼りがいのある存在と感じられるのでしょう。 特に古代ギリシャや中世ヨーロッパのように町どうしが互いに敵対したり競争 関係にあったりする場合には自分の町だけを助けてくれる存在がほしくなりま す。そのような状況が町の守護神や守護天使、守護聖人を生み出していったの でしょう。

 しかし、火のないところに煙は立たずと申します。このような多神教的な神 様に対する信仰は単なる人間の空想なのでしょうか。ここで先程お話しした欲 界、色界、空界の話を思い出していただきたいのです。というのは多神教の神 様たちや一神教の天使たちを色界の存在だと考えると意外と矛盾が少ないので す。

たとえば日本の神道の一部には「神去り」という概念があります。これは 一言で言えば「神の死」です。人間とともに生きておられた神様が「神去り」 されると人々はその地に神社を作っていったのでした。しかし、不死なる神が 死ぬというのは妙な話です。一方、ここでの神は不死ではない色界の存在、す なわちエネルギー波的な存在と考えると、エネルギー波はいずれ消滅する運命 にあるわけですから「神の死」も不思議ではなくなります。

 旧約聖書の列王記には預言者エリヤの昇天の記事があります。この状況は仙 道における白日昇天と非常によく似た記述になっております。エリヤが昇天し た後、その弟子のエリシャは落ちてきたエリヤの外套を取ってヨルダン川の水 を打つと川の水が2つに分かれてエリシャは濡れることなく川を渡ることがで きました。エリコの預言者の仲間たちはこれを見て「エリヤの霊がエリシャの 上にとどまっている」と言いました。

しかし、この事件を「エリヤが昇天され て神(天使あるいは聖人)になられた」と見なすこともできるわけです。です から、このような事件が多神教の神様や一神教の天使や聖人の起源である可能 性があるのです。


事典エイト - 新興宗教への警告 - 第6章 既存宗教の意味するもの