たとえばヨーロッパの大きな町にはたいてい守護天使や守護聖人を敬う祭が あります。それぞれの町が自分の町を守護してくれる天使や聖人を決めていて その天使や聖人にちなんだ日にお祭をするのです。これなどは明らかにキリス ト教以前の多神教の信仰形態がキリスト教と融合してできたものです。
守護聖 人は昔にキリスト教のために殉教した方を聖人として遇しているわけですが、 守護天使については聖書には確かな記述は存在しません。キリスト教的な伝説 はあっても本当のところは町の鎮守の神様がキリスト教の中で生き延びるため に守護天使と名前を変えているのに違いありません。
一方、わが国の神道では「やおよろずの神々」といって非常に多くの神様が 存在することになっていますが、いつの頃からか伊勢神宮と出雲大社が他の神 社とは別格の存在になっていきます。そして、国学が栄えた江戸時代中期以降 は古事記の記述に従って伊勢神宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)が神 道の最高神であることが確定し今日にいたっております。
天照大御神や古代ギ リシャのゼウス神は唯一絶対の神様ではありませんが、他の神々を圧する力量 を持ち、多くの人々の強い信仰を集めていたことを考えますと、実質上の一神 教といえる側面をも持っていたといえるでしょう。
さらに仏教になると話はもっと複雑になります。仏陀こそが最高の存在なの ですから一神教と言えないこともありません。しかし、われわれ人間も一生懸 命修行していくと輪回から逃れて仏陀になるというのです。すなわち、人間は みんな最高の存在になれる可能性があるというのです。
ですから最高の存在で ある仏陀すらもある意味では相対的な存在ということになります。それだけで はなくてキリスト教の守護天使のように古代のインドや中国の神様のなかには 仏教を守る守護神になった場合もあります。たとえば上杉謙信が強く信仰して いたという毘沙門天は北を守る仏教の守護神です。