先にも述べましたように世界の大多数の宗教は戒律を掲げ、欲望を抑制し、 欲望から離れることを説きます。仏教においても特に出家者には厳しい戒律が 課せられるわけですが、三界の思想のユニークなところは厳しい戒律を完全に 守り欲望を滅ぼすことができても仏陀にはなれないと述べている点にあります。 もちろん欲界を離れ色界に行けるわけですから大いなる進歩ではあるのです。 しかし、そこは仏陀の住む空界ではないのです。
では、どうしてこのような考え方が生まれてきたのでしょうか。2章で詳し く述べたように戒律を守り禁欲的な生活を送ることが宗教的なエネルギー源と なるのです。そして、それをうまく使うことを心得ると神通力を持っていると か超能力者というように呼ばれるようになります。このような奥義をマスター して完全に実行できるようになった人を皆は仙人とか聖者と見なすようになる わけです。
もちろん、テレビに登場するような限定された一部の能力しか持た ない超能力者は仙人や聖者とは呼ばれません。彼らはパワー不足なのです。単 に彼らの生まれつき持っている遺伝的な性質や生まれ育った環境が良かったた めにある種の能力を身につけたというだけのことで、本当の意味で戒律を知っ てそれを実行しているわけではないので、ほんの少しの能力しか持てないので す。
さて、仙人や聖者と言われる人の中には昇天されたと伝えられる方々がおら れます。彼らは色界へ旅立っていかれたのでしょうか。私にはわかりません。 ただ言えることは色界とは物質の世界ではないということです。動物は呼吸を し、食物を食べなければ生きていくことはできません。
そのことから必然的に 欲が生じるのです。たとえ高僧と言えども飲まず食わずでは死んでしまいます から必要最小限の水と食べ物を欲するわけです。従って、われわれ人間のよう に物質的な物に基盤を置いている限り完全に無欲になることはできません。言 い換えれば、完全に無欲になれば死んでしまって、少なくとも人間ではなくな ってしまいます。
では仙人さんは人間ではないのでしょうか。中国に伝わる仙人に関する伝説 には、仙人は食事をしない、仙人は一夜で何千里も離れたところへ移動できる、 仙人は同時に異なる2か所に現れることができる、など人間離れしたことが書 かれています。
それが仙人が仙人たる所以であるわけですが、人間であると考 えるから信じられないのであって、元は人間でも人間ならざる存在になってし まったと考えればそれなりに理屈は通ります。では仙人とは何者なのでしょう か。色界とは何なのでしょうか。
ここで高校の物理の時間を思い出してください。色とは物理学的に見てどの ような現象だったでしょうか。そうですね、色とは異なる波長の光に名前をつ けたものでした。波長の長い光は赤色光、波長の短い光は紫色光、赤色光より もさらに波長の長い光が赤外線、紫色光よりもさらに波長の短い光が紫外線で した。そして、私たちが物の色を見分けられるのは、その物が特定の波長の光 をより多く反射しているからです。例えば、赤いポストは波長の長い赤色光を おもに反射しているので赤く見えるのです。
では光とは何でしょうか。光とは電磁波の一種です。電磁波には皆さんがテ レビやラジオなどでお世話になっている普通の電波の他にレントゲン検診で使 うX線や放射性物質から放射される怖いγ線なども含まれます。では電磁波と は何者でしょうか。岩波の理化学辞典によりますと電磁波とは「真空または物 質中を電磁場の震動が伝播する現象」と書かれています。
「震動が伝播する現 象」とは要するに波のことです。池に小石を投げ込むとそこを中心にして波が 広がっていきます。水そのものは同じ場所で上下運動を繰り返しているだけな のですが、その震動は伝わっていくのです。池にできる波は水面の震動が伝わ る現象です。
しかし、光は電磁場の震動が伝わる現象です。電磁場の震動とい うとむずかしく思われるかもしれませんが、電気が流れるところにはその周り に電磁場が生じます。その電流の強さや向きが変われば電磁場は震動し、そし て通常は自動的にその震動が伝播していくのです。
ようやくお釈迦様の真意が見えてきましたね。彼が2番目の世界を色界と表 現したのは色というものの持つ本質を見極めた上でのことでした。物質の増減 を伴わない、すなわち物質の存在には必ずしも依存しないで他者に影響を与え る現象。それが電磁波であり、光であるのです。そして、その光の種類を色と われわれは呼んできたのでした。
色界とはすなわち物質を超越した波動が互い に影響を与えあっている世界なのです。そして、戒律を守って修行を続けるこ とによって欲界に住むわれわれ人間も色界の存在に変身することができるとい うのが仏教の主張しているところです。