たとえば来年に東京で大地震が起こるとしても、いま東京に住んでいる人た ちはどうすればいいのでしょうか。東京を捨てて他の地域へ移住できる余裕の ある人はわずかでしょう。せいぜい地震の時のために非常用の食糧などを蓄え たり、たんすや食器棚の倒壊を防ぐための処置をとるくらいのことでしょうか。 これらのことは、もう何年も前から東海沖地震のための備えとして広く広報さ れていることですね。
大切なのはいつ何が起こるかよりも、いま何をしなければならないのかなの ではないのでしょうか? たとえ本当のアガシックレコードを見れたとしても 天災に対してどう対処するのかがわからなければ全く意味がありません。ある いは、あなたが第3次世界大戦の経過を知り得たとして、あなたは今どのよう な行動をすべきなのでしょうか? あなたが第3次世界大戦の予知情報を世界 にばらまくことによって、多くの国が戦備拡張に走りより悲惨な結果を招きよ せるかもしれないのですよ。
ここまでで、未来予知という技術の持つ種々の問題点について述べてきまし た。しかしながら、多くの宗教では未来予知はその教義において中心的な地位 を占めています。正しく未来を予知できるかどうかがその宗派の真偽のバロメ ーターと見なされているふしもあります。けれども、みなさんは預言と未来予 知とは全く異なるものだということをどれだけ理解しておられるでしょうか。 たとえば出エジプト記の19節には
「ヤコブの家にこのように語り イスラエルの人々に告げなさい。 (中略) わたしの契約を守るならば あなたたちはすべての民の間にあって わたしの宝となる。」
とあります。このように預言とは神様から人類へ宛てたメッセージであり、神 様からの指令でもあります。その預言に従う者は救われ逆らう者は滅ぼされる ということですね。
たしかに預言は未来予知的な側面を含んでいることは無視できませんが未来 予知そのものではないのです。宗教とは決して未来予知の技術を磨くことでは なくて神様、仏様からのメッセージを受け取りそれを実行することなのです。 はるかな昔から人々がいろいろな宗教を信じてきたということは、神様、仏様 からのメッセージを実行することが大いなる利益につながっていたからに他な りません。