たしかに望みがかなったり性格が良くなるのは悪いことではありません。し かしながら、よく考えてみるとこの種の手法にはたいへんな問題点が隠されて いることに気がつきます。例えば、お金持ちになりたいと願うとしましょう。 そして、それがかなえられるならば多くの人達がお金持ちになりたいと願うこ とでしょう。しかし、経済は麻雀ゲームのようなもので誰かがお金持ちになれ ば誰かが貧乏になっているのです。通貨の量はむやみに増やせませんから誰か がお金をためこめばお金がなくて困る人がでてくるのです。それならみんなが 願望達成術を学べばいいと思われるかもしれませんが、これは間違った考えで す。願望達成術を学べるのはある程度お金と余暇を持てる人だけで、開発途上 国の貧乏な人たちは学ぶことができません。ですから、お金持ちはますますお 金持ちに貧乏人はますます貧乏人になっていき、最後には貧乏な人たちの堪忍 袋の尾が切れて暴動や革命騒ぎが起こったり、裕福な他国に攻め込んだりする ようになるのです。
また、何を望むのかも大きな問題です。あなたが社長になりたいと願って実 際に社長になれたとしましょう。しかし、社長というのは激務で神経をすり減 らしてばかりですし、サラリーマン社長というのはみなさんが思うほどには裕 福ではないのです。社長になりたいという願望が達成されたとしても、体をこ わし、心を傷つけ、家庭の和を乱してそれで幸福といえるでしょうか。それが、 あなたが本当に望んだものなのでしょうか。何を望むのか、どのような人生を 目指すのか、それが一番大きな問題なのです。
では、何を望むのがいいのでしょうか。大乗仏教では小さな欲ではなくて大 欲を持てと教えます。大欲とは生きとし生けるものすべてを尊重し、すべてを 幸せにしようと願う心です。キリスト教で説かれる人類愛もほぼこれに似た概 念です。世界の大宗教が私利私欲ではなくて大欲や人類愛を説くのは、このよ うな心を持つことが結局はみんなの幸福につながるからなのです。願望達成術 に限らず、どんな超能力、どんな神通力を持っていても大欲を持たない者には 心の平安は訪れないのです。このことははじめはなかなか納得できないかもし れませんが、心の片隅にでも留めておいてください。