そのひとつの例が「踊る信者たち」です。 これには大きくわけて2つのパターンがあります。 ひとつは教祖様のパワーあるいは気の力を信者の人達たちに与えることによって彼らを物理的に動かして踊らせてしまうものです。 彼らは教祖様の超能力に感銘を受け、科学では解明できていない宗教の不思議に触れて信仰の道へ入っていきます。 そのような偉大な教祖様のそばにいることが社会におけるストレスに疲れた彼らに安心感や心地よさを与えているのでしょう。
もうひとつのパターンは神がかり方式です。 本来、日本の神道をはじめ古代世界の多くの地域では、 選ばれた数人の巫女が神がかりになって神様からの御託宣を得ていました。 しかし、いくつかの新興宗教ではすべての信者に神がかりになる訓練を施します。 自らが神がかりになることによって宗教的な不思議を実体験し、 前世を知り、自らの不幸の原因を探り、適切な供養をする。 たとえ偶然でもこれによって何らかの改善が認められれば彼らは熱心な信者となっていくのです。
両方式の折衷された形がいわゆる手かざしです。 教祖様からパワーを与えられることによって神の巫女となり、 手かざしによって人々を救うことができる。 ノウハウだけではなくてパワーも教祖様からいただくというところが単なる神がかり方式と違うところです。 教祖様のパワーがなければいけないのですから、 際限のない分派活動や教団内の異端児をコントロールすることが可能になります。 一方で、オーム真理教のように教祖様に頼りきってしまうという依存性も随所に見受けられることになります。
手かざし宗教の発展とともに見逃すことのできないのは占いブームでしょう。 現在の日本はあまりにも豊かで平和です。 こんなはずはない、こんな時代がいつまでも続くはずがない、 このように直感した少女たちは未来に対して潜在的な恐怖心を募らせていきます。 その不安を解消するために雑誌の占いコーナーを見るのです。
しかしながら、雑誌の占いコーナーでは少女たちは生年月日や血液型などによって区分されて一括されて占われてしまいます。 こんな安直な方法で占えるわけはない、 そう感じた少女たちは実際の占い師のもとを訪れるようになるのです。 そうすれば1対1で自分の未来を占ってもらえるのですから。 街角の占い師の前には長蛇の列ができ、 占い師ばかりが集まって営業しているビルがあちこちの町にできるまでにこの占いブームは拡大していきました。
これで多くの少女たちは満足しました。 しかし、なかには満足できなかった人達もいます。 彼女たちは何度も占い師のもとに通っている間に占い師が必ずしもいつもいつも全身全霊を傾けて占っているわけではないことを悟ります。 また、ほんとうに悪い占いの結果がでた場合には適当に内容を弱めて伝えているのではないかと疑問を持つようになります。
そこで彼女たちは占いの書物を買いあさり、 自分で占いをしようとするようになるのです。 そして、いつしか占いを趣味として、身近な人たちのことを占うようになっていきます。 そうなると、自分の占った結果が気になりだします。 より正しい占い結果を得るためにはさらなる精進が必要です。 いつしか彼女は書物のみでは飽きたらず、占いの秘密を求めて新興宗教の門をたたくようになるのです。
一方、男の子たちはどうでしょうか。彼らは少女たちよりも積極的に行動します。 彼らもやはり雑誌や書物から入りますが、 彼らの目的は占いよりもむしろ超能力にあります。 ムーのようなその手の雑誌には超能力グッズや超能力講座の広告が満ちあふれています。 最初は超能力グッズを通信販売で購入することからはじまります。 そして、超能力をみがく通信講座へと進み、何万円もする超能力セミナーなどを経た後でやはり新興宗教の門を叩くことになります。
このように新興宗教の門をたたいた少年少女の動機はいたって不純です。 彼らは今つきあっている異性と結婚することが自分の幸福につながるのかどうかを知りたがっているのであり、 もっと異性にもてるのにはどうすればいいのか、 あるいは楽して出世してお金持ちになるにはどうすればいいのかということを知りたがっているだけなのです。 ただ、その本当の気持ちを隠すために「人類救済の戦士」とか「神の巫女」だとかいう幻想を信じようとするのでしょう。
こんな彼らをかかえる新興宗教の教祖様も大変です。 彼らは入会しても必ずしも心底から信じているわけではありませんから、 ちょっと気にいらないことがあるとすぐにやめてしまいます。 そして、別の宗派へ行くわけです。
現状の勢力を維持するためには、たえず彼らの気をひくパフォーマンスを演じ続けなければなりません。 オーム真理教の毒ガス騒動もそういったパフォーマンスの延長線上にあるのでしょう。 また、脱会しようとする少年少女たちを無理矢理連れ戻したり、 教団の施設に閉じこめて逃げ出さないようにします。 さらに、やめるであろう人の分を見込んで新たな信者を捜し続けなければならないのです。
宗教に世俗利益の要素が不要だというのではありません。 しかしながら、わが国の現状はあまりにもいびつであまりにも均衡を欠いています。 キリスト教における第2ミリエールが終わろうとしている今、 そしてアジアやアフリカ、中南米諸国が欧米の重圧から逃れようともがいている今、 われわれ日本人の持っている宗教は葬式仏教と国家神道とオカルト新興宗教だけなのです。
宗教の違い、宗派の違いは問題ではありません。 問題なのはそれが正しい宗教なのか、 正しい思想なのか、われわれ日本人と人類を正しく導いてくれるのかということです。 現代の科学が万能ではないことは明らかです。 それゆえに宗教や思想が不要になることはありません。 だからこそ、正しいものと間違ったものを見分ける目が大切になってくるのです。