それはまた第2ミリエールにおいてキリスト教とともに世界へ進出していったヨーロッパ文明にひとつのピリオドが打たれることを暗示させます。 それゆえに、欧米のキリスト教徒にとって20世紀が終わるということは重大なことなのです。
では、第2ミリエールとはヨーロッパにとってどんな時代だったのでしょうか。 7世紀初頭にはじまったイスラムの流れはサラセン帝国という世俗権力となって中央アジア、 インダス川流域から中近東、北アフリカ、そしてスペインまでをも飲み込んでいました。
それに対抗する形で実施された第1次十字軍がエルサレムを占領したのが西暦1099年のことでした。 しかし、1453年にはオスマントルコ軍によってコンスタンチノープルが占領され、長い歴史を誇った東ローマ帝国は滅亡しました。 この間、東ヨーロッパはイスラムのみならずモンゴル帝国の脅威にもさらされた時期もありました。
このように、第2ミリエールの前半はヨーロッパにとって屈辱と忍耐の時代でした。 決して、イスラムやモンゴルが強かったのではありません。 ヨーロッパが弱すぎたのです。
イスラム内部の腐敗と権力闘争、それに伴う頻繁な王朝の交替を見れば、 この時代には既にイスラム文明は衰退しはじめていたのが容易に理解できることでしょう。 また、あのモンゴル帝国も200年もたたないうちに崩壊し、 もとのモンゴル高原に戻っていきました。
しかしながら、ヨーロッパも無為に時を過ごしていたのではありません。 十字軍によるイスラム文明の発見とイスラム勢力によるスペイン占領によって中世の暗闇の中で眠っていたヨーロッパは目をさますことになります。 13世紀にはイタリアルネッサンスが起こり、 古代ギリシャや古代ローマの文明を復興して、カトリックの重圧から人間性を回復しようという新しい流れが次第にヨーロッパ全域に広がっていきました。
また、スペインではフランスなどに支援されたキリスト教徒が徐々に失地を回復し、 1492年のグラナダ陥落によってスペインのイスラム勢力は一掃されました。
第2ミリエールの後半はオスマントルコ軍の進撃で幕を開けましたが、 勢いにのったスペインとポルトガルは大航海時代を迎え、 喜望峰経由のインド航路の発見とアメリカ大陸への到達によって, イスラムの通商における優越性は根底から崩れ去り、 ここにヨーロッパによる植民地獲得競争がはじまります。
この時代、ルターやカルビンなどはカトリックの現状を厳しく批判して新しい宗派を開きました。 これらプロテスタント勢力と旧来のカトリック勢力は世俗権力を巡って厳しく対立しますが、 イタリア、スペイン、フランスがカトリックに、 ドイツ、オランダ、イギリスがプロテスタントにという勢力地図ができあがると, 各国は次第に中央集権的な政権に移行し国力を高めていきました。
そして、市民革命と産業革命を経てヨーロッパは世界に君臨し、 黄金時代を迎えました。 しかし、20世紀におきた2つの世界大戦はヨーロッパを荒廃させ、 世界の覇者の地位はアメリカ合衆国へと移りました。
戦後、ヨーロッパは経済的には日本にも抜かれるまでになり、 1995年現在、EU統合による復活を目指しているところです。
このように第2ミリエールはヨーロッパにとって屈辱と忍耐から、復活と繁栄へと至る激動の時代ではありましたが、どの世紀においてもヨーロッパは世界史の主役のひとりであり続けました。この第2ミリエールが終わるということは、 ヨーロッパはその繁栄とともに、世界史の主役の座からも追われるかもしれないという潜在的な危惧を欧米のキリスト教徒にもたらしているのです。